自己分析というものをする

3月の終わりが近づいてきた. 博士課程2年目に突入する直前であり,2年目からの目標を掲げていきたい気分なのだが, いかんせん今週末の学会準備に追われていて忙しい.前々から準備はするのに,なぜいつもギリギリになってしまうのだろうか.なやましい.

資料の作成も煮詰まってきたので,ここで別のことをしようと思った. そういえば,もう少しで就職活動の時期が始まる.博士課程の就活時期は少し特殊で,2年目の春から秋ごろまでと聞く. 更には年々前倒しになっていることから,先輩から聞く話よりも早めの対策が重要なんだろう.

エントリーシートを書くのだろうが,ガクチカや志望動機を書く以前に,自分を見つめ直す必要があるだろう. そんなわけで,自己分析をしてみた.

なぜ博士課程に来たのか

研究に情熱を注ぎたかったからだ. 昔から熱心で真面目なところが自分の特徴である.一度火が付いたら一心不乱に進む気持ちがある. 博士課程に進学したのも,自分の出会った研究をさらに追求したかったからだ. 修士課程の段階の研究結果には,疑問点が多かった.得られた結果の要因は何であるのかわからなかったのだ. ただ,そのわからないことに知的好奇心を覚えた.それを解き明かしたいという情熱が湧き出た. また,熱心に取り組むことが楽しいと感じるからだ.全力を注ぐことが生きる喜びなのだ.

だから,私は博士課程に進学したのだろう.キーワードは「情熱」だろうか.

卒業したら何がしたいのだろうか

実社会に貢献したい. 自分は人の幸せも自分の幸せだと思えるお花畑野郎だ. 他者の喜びが自分の生きる原動力になる. 自分の成したことで他者が喜びを感じる.そんなことを実感しやすいような職業に就きたい. だから,企業に入るのがいいんじゃないかと思っている. アカデミアに比べて,自分の見出した薬が一般人に使われるまで早い. 「薬が使われて命が助かった」,そんなことを聞けば,すごく喜ぶだろう.

自分の研究によって創造された薬によって実社会に貢献する.そんなことをしたいがために,企業に行きたいのだろう.

ここまで

今日はこんなところにしておこう. また自己分析をしようと思う.

正月すっ飛ばしバグ

明けましておめでとうございます. 今年もよろしくお願いします. いや,一月終わるの早すぎる,と言う心境です.

毎年,1~3月は一瞬で終わってしまうのは気のせいでしょうか. この時期はなぜか予定が詰まってしまう.正月休みが終わって寒い寒いいってたら一瞬で桜が咲いてしまう.

さて,博士課程一年目も終わりを迎えてきた.再来月からは二年目になる. 博士課程にきてよかったかなと自問してみるけど,よかったなと思う.これは素直な気持ちだ. 確かに,この一年目は本当に辛かった.研究室新体制とテーマ決め,4/5月は,大袈裟ではなく死にそうになっていた. 6月からは,新体制に慣れ始めて,運よくテーマの種を見つけられたものだから,なんとかなった.むかつく日は何日もあったけど,やめたいと思わなかった.なぜなら楽しかったからだ.

なぜ楽しかったのだろう.それは,自分の成長を直に感じ取ったからだなと思っている.一年前の自分になかったもの,考察力・知識・実験手法などなど挙げられる.一番は,思考力だと思う.ものを頭で整理して,結論を出す力が格段に上がったと思う.これまでは,実験結果を出してそれを考察する中で,色々な発想や意見を頭の中でごちゃごちゃにめぐらせてしまったから,ぐずぐず考える癖があった.だけど,今は少し違う.考察をプロセス立ててできるようになり,結論を出せるようになったのかなっと思う.「過去の自分のデータと参照してみて何か言えないか」「既報の論文と何が違うのか」などなど,多角的に結果を見れるようになった.そこから,いろんな発想が生まれるようになり,自分の研究をいかに面白くさせるか,と言う姿勢が強くなったと感じる.要は前向きになったのだ.

前向きに活動することは,気持ちを豊かにすると考えられる.なんだかこの頃,調子がいい.新しいことがどんどん見つかって気持ちがいいんだ.

しかし,楽しいのも束の間,就職活動の時期がやってくる.自分は一体どこに行きたいのか,まだわからない. 父親は,職種にこだわる必要はない.自分のやりたい事を考えて,それに近い仕事に行けばいいんだよ,と言っていた. 自分のやりたいことって,はっきり「これ」と答えられるだろうか.今は答えられない.さあ,大変だ.

自分は何をやりたいのか,真剣に向き合うことから逃げちゃダメだ.修士課程では逃げてしまったのだから,今度こそ向き合わなきゃ. これからさらに忙しくなってくるだろうが,自分のことを理解する努力を怠らないようにしよう.

目まぐるしい

12月はもう半分も過ぎてしまった.2024年にはあと2週間でたどり着いてしまう.

ここ半月はとても忙しかった.忙しいというのはもちろん研究室のことだ. まず,学生実習のTAがあった.実習の内容は去年から一新されて,全く違うものだった.というのも,私の研究室は昨年度教授が退職されたことから,全く別の分野(わかる人がいればいいが,有機系から生物系)になったからだ.この分野は自分の専門ではあるからなんとかなったものの,新しくなった実習内容を学生に教えること,何よりも研究室の学生に教えることが大変だった.

自分のブログなので苦労自慢をさせて欲しい.私は研究室の学生の中で最高学年であり,実習内容を学生に理解させることが仕事だった.実習の2週間前までに,実習内容や材料が適切か検討するためプレ実験を数人の学生と協力して行い,二週間前からは学生で模擬的に実習を行った.実際の実験を研究室学生だけでやり,プレ 実験通りに行くか,詰めきれてないことはあるかを考えるためだ.その工程が,なかなか大変だった. 最高学年ということから,頼れる先がない.頼りたい,という気持ちはそこまでなかったものの,ここまで責任がかかってくると,自ずとプレッシャーを感じてしまう.「自分がやらなきゃ」と,この気持ちがとても邪魔だった.

幸い,私は後輩に頼る(甘えるの間違いか??)のは苦手ではなかったためなんとかなった.これまで後輩と築いた関係性があって,後輩にあれこれを指示することに抵抗が少ないのだ.これこそがなんとかなった理由だったと思う.実際の実習でも,トラブルを最小限に抑えて,ほぼ完璧にできたんじゃないかと思ってる.本当によかった.辛いと思った時があったが,まあ,なんとかなるものだと.そして,なかなか良い達成感を得られた,またチーム全体で協力した一体感を感じられた.結果としては,良い経験なのかなと思った.

この半月を通して,チームを牽引する上で重要かと思ったことは,チームメイトに頼ることだなと思った.「自分がやらなきゃ」「自分が全部まとめなきゃ」という感情はよくない.チームに課せられたものを自分一人では解決することは絶対できないことだ.何より,もがき苦しんでるリーダーを見てチームメイトはやる気出てくるんだろうか.「大丈夫かな」「無理してないかな」という心配の感情が出てしまい,問題解決に気を配れなくなるのかなと.そんなことを思った.一人でもがきくるしむリーダーより,チームメイトにすぐ甘えてくるけどまとめる時はまとめるリーダー,こっちの方がいいんじゃないかと.

なんだか,リーダーシップ論みたいになってしまって,何を書いているんだって感じだけど,これが素直に思ったことだから,書き残しておいた. なお実習期間中ももちろん実験しており,絶賛頭がパンク状態である.ダメだりゃ.でも,充実してるなって思う.

残り半月だが,まだまだ博士課程は始まったばかりだと思う.この頃研究の種が見つかってきている.これを発展させる能力を築き上げたいなと.今日この頃の私でした.

楽しい時こそ慎重に

すっかり肌寒くなってきてしまった.

最近の研究活動について,自分で言うのもアレだが順調だ.以前先生に提示した仮説を検討してきているのだが,最近それが良さそうだと言うことがわかってきた.薬の標的を解明するというところに近づき,更にはそこから研究を拡張できる可能性を見出せてきたからだ.自分の研究をどうすればより良いものにできるか・・・,良いものにしたら周りから評価してもらえるだろうか・・・,など妄想耽ることが最近の楽しみである.実験のたびに結果が楽しみで仕方がなくなってきたのである.

ただ,そんな時こそ慎重になるべきだなと思う.修士の時にも順調な時があったが,順調故にあまりよく考えずに実験してしまい,先生にひどく怒られた時があった.よく考えずに行った実験というのは,お金と時間の両方を失う行動だ.博士課程という貴重な時間を浪費してしまうのは勿体無い.現に,まだ論文は出ていない.論文投稿に至ることが自分の目標であるのだから,油断しないことが大切だろう.

ただ,研究を楽しむ心持ちになっているのはとてもいい.楽しくないと,辛いものだから. 研究生活で充実していることを感じつつ,無駄な実験をしていないか注意する,このようなメリハリが重要なんだと思った.

と,つい笑いなしの真面目な文章になってしまった.たまには趣味の話もありかと,次の記事にはそれを書こう.

悔しさを活かして

指導教員の指摘はムカつく やった後に指摘されることはどうしてこんなにもムカつくのだろうか.自分が一生懸命考えて行った実験がうまくいかず,改善案をディスカッションする際,結果論的に自分の実験にケチをつけられた時が一番気分が悪くなる.そんなこと言うなら,やる前から言えって話で,後出しのマウントほど悔しくなるものはない.

本当に,本当にムカつく.見返してやりたい気持ちが溢れてくる.どうにか先生をあっと驚かせるような,想定外の面白い結果を出して,黙らせてやりたい. そんなことを思った1日でした.この煮えたぎる悔しさを正しい方向に活かせるかが今後の自分の成果に関わってくるのだろうか.これさえも,結果に辿り着いてみないとわからないことだ. 素直に努力しても,成果を得られないことが多いけれども,努力なければ結果を得ることは困難だ.ここは正直に,頑張っていこうかなと思った.

Lighthouseを見た博士課程学生の感想

Netfilxで「Lighthouse」をみた

星野源とオードリー若林のトークバラエティ「Lighthouse」を最終話まで見た. 率直な感想として,頭がぼーっとするけど心がふわっと軽くなる不思議な感覚を得た. なぜか救われた気持ちになる,そういった感想だ.

なんでなのだろうかと考えてみた.おそらく,二人の経験及びそれに対する感情と,自分の今の立ち位置を照らし合わせた時に,今の自分がやっていることが悪いと決めつけられないことに,安心を得たんだと思う. 二人は20代に挑戦(演劇またはお笑い)をしていたが,周囲の社会人となった友人と比べて,自分の挑戦は本当にやりたいことなのか,それが幸せなのかわからない時期があったみたいだ.羨みや妬み,悔しさに塗れながらも,自分の挑戦を疑わない努力をしながら進んでいたようである.結果として,その挑戦は現在の彼らに繋がったのだった.この話がすごい,なんだろうか,自分に安心を与える.

今の自分は博士課程というマイノリティな存在になっている.そもそもこの挑戦は,自分がふと感じたやりたいという気持ちから生まれた.だけども,この「やりたい」気持ちを常に疑ってしまう.多数の同年代の人間は社会人になっている.給料ももらってる,福利厚生もある,社会経験を得ている.だけど自分にはない.この不安が苦しい.自分から生まれた「やりたい」という純粋で幸せな感情が,周囲との比較によって出てきてしまう羨みで曇らせられてしまう.この羨みは,今の自分の足をしつこく引っ張ってきて,いつも僕は息を切らした状態で進まなければならない.本当に苦しいんだ,

だけど彼らの話を聞くと,今の自分が感じてる感情が共有されたような感覚を得た.なぜか自分の感情に彼らが共感してくれているように感じた.それが,とにかく嬉しかった. Lighthouse,灯台という意味らしい.番組内でも言われていたが,彼らの存在はまさしく自分のような経験をしている人にとって灯台のようなものなんだと思う.

第三話のEnding曲である「仲間はずれ」の歌詞にもあるが,誰も踏み入れていたに未開の真っ暗闇な道を進んだ末に,自分がそこで灯台となって人を導く,彼らのような存在は非常に尊敬している.

終わりに

なんか彼らの信者みたいな文章を書いてしまった(笑) 彼らの言葉が信じられないほど心に刺さってしまったからだと思う.

自分の今やっていることが,いいことであるのかわからないけど,やりたいという心を信じて頑張っていこうと思った.

ユークリッド互除法論法

 手書き日記を再開した.

自分に足りないところは何かと考えた時,文章力だと考えた. 文章はある程度書けるし,論理性もあると思っている. だけど,明確な欠点は読みにくいことだと感じている. 読みやすい文章を書くために,日記を再開した. 日記を書きながら,どのようにすれば読みやすくなるか試行してくつもりだ.

 なんで読みづらいんだろうか

昔書いた文章を読むと,なんだか読みづらい. なぜだろうと思い文章を見てみると,なんだか一つの文が孤立しているように見えた. 一文一文の意味は成立してる.それらを列挙すれば,最後の結論にはつながる.だけども,文と文の接続がうまくいってないように見えるのだ. どうやら,自分の文章力の欠点はここにありそうだ.

 自分なりの解釈

2通りの文章を書いてみよう. 1.「私の好きなものはヨーグルトである.ヨーグルトは乳酸菌を牛乳に入れて室温におくという工程で作れる.この作業工程が科学的で興味をそそられる.だから私の好きなものはヨーグルトだ.」 2.「私はヨーグルトを作ることが好きだ.乳酸菌を牛乳に入れて室温におくという工程でヨーグルトを作られる.私が面白いと感じるのはこの作業工程だ.だから私はヨーグルトが好きだ」

どちらも「ヨーグルトが好きな理由」を話してる.どちらが読みやすいだろうか.おそらく1だろうと思う. じゃあなぜ読みやすいのか.それは,前文の終わりの単語を,次文の主語になっているからだと思う. 「AはBである.BはCである.CはDである.以上の理由からAはBである」この形が読みやすい. 1の文で言えば,A=私の好きなもの,B=ヨーグルト,C=工程,D=興味をそそられるとなっている.だから読みやすいのだろう. 一方,2はバラバラだ.「BはA,CはB,CはD,以上の理由からAはBである」となっていると思う.

前の文の終わりに出てくる単語を,次の文の主語にする.この法則が大事だ.

 ユークリッド互除法論方?

前文の終わりを,次文の頭に持ってくる.なんだか,ユークリッド互除法のやり方に似ている気がする. 理系にしか伝わらないだろうか.善ければ調べてみてほしい.

 終わりに

ユークリッド互除法論法が文をわかりやすくするやり方だと考えた. 実際にできるように,手書き日記で実践していくつもりだ. 手書きの日記は,書くことを頭の中で整理してから書く意識をもてる.これはPCと比較した時の話だが,PCより手書きの方が修正の手間がある.だから間違えないように,書くことをシミュレーションしてから書こうとする.だから良いのかも.

今日はこんな感じで終わろうと思う.おやすみ.