移動
駅中2階のカフェには,駅ロータリーのよく見える窓際席がある.そこから見える景色はとてもバラエティ豊かであり,漠然と見て気づけば時間が過ぎ去ってしまう.直下にはバス停,右手には手前から奥に続く長い駅中ショッピングルート,その上には線路が存在し,10分以内の感覚で手前や奥に進む電車が見える.もちろん,バスや電車が次々と入れ替わる風景も面白いものではあるのだが,しかし,私にとって見ていてより楽しいものは人である.服装や手荷物などから,その日の時制が感じ取れる.例えば今日はわかりやすい.8月初めの日曜日であることから,麦わら帽子を被りワンピースを着こなす女性や,短パンに白Tシャツに加えサンダルを履き,手前の駅改札方向に進む男性がいる.時々そこに少年少女も同伴している.とても夏が感じられる風景である.手前から奥に進むものたちは,これから近くのイベント会場に赴く人たちであろう.見慣れない英字ロゴ,カラフルなシャツ,いわゆる夏フェスが近くで行われているに違いない.この窓際席から見える風景からはいわゆる草木などの“自然”とされるものは存在しない.だけれども,行き交う人々の服装や雰囲気から,その時の季節を感じ取れるのだ.と,エアコンがしっかりと効いているカフェから思うのであった.
私の性質は研究者という職にどのように与するのか..ピーター・B・メダワー 『若き研究者へ』日本語訳版を読んだ感想
英語論文の執筆も大分進んできた.しかしながら,まだ詰めるところ(データは十分か,記載した主張はデータによって支持されるものなのか?)がある.この詰め作業はどうもしんどくなってしまう.なぜなら終わりが見えないからだ.だけど,終わらさせなければならない.現行の研究を,自分の研究を,首尾よく終わらせるためだ. こういう時,自分のモチベーションを高めるものはなんだろうと考えたのだが,やはり先人の研究者達が記した本だなと思い,大学の図書館を探した頃,表題の本に辿り着いた.メダワー氏は,抗菌薬ペニシリン開発初期に多大な貢献をしたオックスフォード大学フローリー病理学研究所に在籍していた,生物学者である.ペニシリンは,私の専門分野である細菌感染症にはとてつもなく重要な薬であり,それに従事していた方の話はとっつきやすいだろうと考えて,本書を読んでみた.
印象に残った点は2つ.1つは「研究者としての倫理観」だ.一言一句あっていないが,本書では自身の悪いところに煙幕を立てて隠そうとすることは,科学とフェアに付き合う職業としてやってはいけないことであるとのことが,書かれていた.とても耳が痛い.私は,実験でうまくいかなかった時,大抵は冷静のその原因を分析したり,そもそも仮説が誤りであると考えて別のルートを考えたり,と対処することに努める.これは日頃からできていることである.しかしながら,どうしても追い込まれた時,うまくいかなかったデータを,「無視」してしまうことがある.すなわち,煙幕を立てて自分でも見えなくする,といった行動をしてしまう.うまくいかなかったデータというのは,今後の研究(自分及び研究室メンバー,後輩,指導教員全員に関わる)をより良いものにする,これは間違いない.だけど,うまくいかなったという事実は,弱っている自分にはなかなか強いダメージを与えてくる.そしてそれに目をそ向けてしまうことが,まれにある.しかし,自分の悪癖と改めて向き合うことができた.ネガティブなデータに,忍耐強く,辛抱強く,粘り強く対処するものこそ,ポジティブなデータが得られると思う. 2つ目は,「研究者に向いてる性質」だ.本書では,大量の培地を作ったりと実験台に立ち続けることに嫌な感情を持たない者は,少なくとも研究者に向いていないわけではない.そして,研究自体に嫌気を指してしまう人はあまり向かない.などと記されていた.私は,一週間に寒天培地は200枚程度作り,日を跨いでも実験をしづづけることが,頻繁にあった.もちろん,辛いなと思う時もあった,だが,それに対して心底嫌な思いをすることはなかった.こんなものだろうと,受け入れていたのだ.だらか,自分は向いていないわけではない,と思った.「向いていないわけではない」という気持ちはとても効果的である.「向いている」余地がある.「向いている」可能性を信じて頑張れるのだ.この感情が,本日の論文作成をブーストしてくれたと,今は思っている.
やはり,モチベーションが上がらない時,困った時は,先人の考えをじっくりと吸収することが良いと思う.今では,chatgptに励ましてもらう人もいるらしいけど,励ましてくれるものは,やはりまだ人であってほしい.そんな考えの人は,モチベが下がった時に,本を求めるのがいいんじゃないか.
真相は自分の一番近い場所に存在することもある 冬期限定ボンボンショコラ事件を読んだ感想
米澤穂信「冬期限定ボンボンショコラ事件」を読んだ
ちょっとした読書感想文でも書いてみようと思う.私は現在大学院で研究をしていて,絶賛論文作成中にある. 文章を推敲している段階なのだが,なかなか手応えを感じれることがない.そこで,おそらく読む力をもう少しつければいいのではないかと考えた. 宇佐美寛著「新版 論理的思考 論説文の読み書きにおいて」では,読書を楽しみ,好きな本・面白いと思う本をひたすら読むことが重要と述べられていた.そして,本を読みながら時々文の論理構成を意識してみたり,「自分だったらどうかくか」などと考えてみることで,客観的に読む力がつくと主張されている. そんなわけで,かねてより自分の著者である「氷菓」「本と鍵の季節」「黒牢城」などが代表(私の中で)作な米澤穂信さんの最新作を読んでみることにした.なお,秋期限定まではすでに読んでいる.
感想
前半部分,「わからない」と何回も思った.主人公は交通事故に遭い,病院に入院してしまう.そして,その交通事故は過去に主人公が関わった事故と深い関わりがあることを知り,過去の出来事を回想する.そのため,基本的に主人公は病室のベッドの上におり,入院生活を送りつつ,時々過去を回想する.しかしながら,過去の事件が現在の事件とどのように関わるのか,全然わからない.というのも,過去の事件の謎が多すぎるのだ.過去に謎を残したままでは,現在とのつながりが見えない.そして,現在の事件も謎に包まれる.「わからない」の連続が前半に押し寄せてくる. だが,後半部分,過去と現在,そしてそれらのつながりが見えてくる.虫食いになっていた謎が,着実にわかっていく.この瞬間からページを読み進めることが止まらなかった.着実にわかっていく過程には,主人公が自身の見落としに何回も気づくことがきっかけとなっている.前半部分で虫食いになっている謎が,証言者によるはぐらかしや主人公の聞き逃しなどによるもので,それに主人公が気づくことで,謎が少しづつわかっていく.何より,その見落としに読者である自分がとても共感していた.その瞬間,主人公にほぼ完全に感情移入し,ともに謎を解こうし始める.その感覚がとても楽しかった.この,見落としに気づくというアクションが読書である私に非常に良く効いたのは,前半部分の「わからない」の連続による焦らしが良かったのかと思う.完全に,私は踊らされていたのかもしれない.今回の謎解きは,病院のベッドの上ずっと行われる.しかしながら,解決に向かうストーリーはとても爽快で面白かった.
これまで,幾つも米澤さんの本を読んできており,それらにある共通点を感じていた.それは「謎が解けた後,少々の不快感に苛まれる」ということだ.犯人(または謎に関わる人物)の動機には,リアルな人間関係が関わる.謎が解ける前までは,「こんなひどいこと(変なこと)をした犯人はとても変なやつだろう」と思うのだが,動機を聞いた瞬間から変な同情心を持ってしまい,憎みたくても憎みきれなくなってしまうようになることが多い.だけど,この気持ち悪さが,米澤さんの魅力の一つであると考えている. しかし,今回は違っていた.ネタバレを抑えつつ言うと,今回主人公のある後悔が物語のキーになるのだが,その後悔は無事晴れる.いつもは,後悔で終わるようなのになあ.でも,今回の謎は爽快感があったため,終わり方もスッキリした方が良いなと思った.
終わりに
さて,感想文も書いてみました.これからも,研究の休憩に,軽く本を読んでみようと思いましたね.
論文書くのきつい
タイトル通りだ. 来年の4月までに論文を仕上げないといけない. 時間がない.まずい.
論文を仕上げるにあたって,必要なデータはあと何が残っているか. それを揃えることでどういうことが言えるのか.それを言うことで意味があるのかを徹底的に詰めないといけない. そのために,すでに何がわかっていて何がわかっていないかを揃えないといけない(自分のデータでも,世間の論文でも,いずれの場合でも).
自分にはとても難しい作業だと実感を得てきている.自分にあったまとめ方はなんだろうか.図にしてみる.文章にしてまとめてみる. 作った時にはわかった気になる,思考が整理整頓された気になる.しかし,少し時間が経てば頭から情報が漏れてしまう. もれた情報を再び補う.そしてまた,どこまで論文にできるかを徹底的に議論する.
いや〜,大変大変.難しすぎる.どこまで厳密に考えればいいの? わかってないことにしても,実験しないといけないのか.他の論文を使ってディスカッションするだけにとどめるのか.落とし所を考えるのが,イマイチセンスない.
難しい.もちろん,今までのように研究を広げることというのも難しいのだけど,まとめるのもなお難しい. もう少し長期的な計画を立てなくてはいけなかった,,,と思ってみるけど,短期計画でせいいっぱいだったよ!!!! やばいやばい.
でも,やるしかないので,とりあえず,鉛筆と紙(時々ipad)に書いて書いて書きまくって思考を整理させていくしかないのかなと思う. とりあえず,きつい気持ちを吐き出したくて,このブログに文章を書き殴りました.
直向きにやっていく.
寒くなってきた
インドネシア人留学生との会合と学生実習期間を終え,ようやく論文作成に本腰入ってきたところだ.
今日は,定例の研究報告会を研究室内で行い,自分はその発表者の番だった. 正直,先月からの進捗は遅い.何より,論文としてまとめるにあたっての計画に,綿密さが足りないなあと思いながら,発表してしまった. 先生からはあまり厳しくは言われなかったのだけども,今日の発表内容(データ)は少し物足りないと思う.
ただ,嬉しいこともあった.それは,後輩たちが積極的にディスカッションに応じてくれるようになったことだ.報告会の中では,数名が各々気になった論文を紹介する時間がある.その論文の内容について矛盾に感じたことがあったため,報告会後に個人的に伺ってみたのだが,嬉しそうに(自分から見てだけど)応じてくれた. 研究をしているにあたって,楽しい時間の一つは頭の中で際限なく議論をすることだと,個人的に思っている.それが正しいか正しくないか関係なく,永遠と仮説検討している時間が楽しい.そして,その議論を他人とすることが何よりも面白い.自分が疑問に思っていた点が他人との会話によって解消される瞬間や,逆にお互い共通に疑問に思っている点について話し合い,一つの結論(解決に結びつくかはわからないけれども)に辿り着こうとする時間が好きだ. 今回の報告会後の時間は,そのような時間をとても感じられたと考えている.前までは,そこまで議論に対して積極的な人はいなさそうだったのだけど.おそらく,学生実習期間で,学部生とディスカッションする時間が各々あって,それに刺激を受けたから,みんな積極的になったのかなと,考えている.
外はすっかり寒くなってきたけれども,研究室内の研究に対するアツさは上がってきたのかなと感じる. まだまだ成果は足りない,頑張っていきます.
先輩としてか,自分としてか
今年ももう2月となっている.年末にかけて追い込みたいところではあるのだが,非常に慌ただしい日々が続いている.先週から留学生が3名,研究室に来ている.彼らと一緒に実験するのは,刺激的で,勉強になることは多い.しかし,コミュニケーションは全て英語だ.これは流石に疲れる.留学生との対応をすれば,その日の夜はどっと疲れが出てしまう.さてさて,疲れてしまうほど楽しい経験ができているということであれば,なんていいことなのだろうか.そうも思ってられないのが現状である.
なぜなら,来週には下級生に対して,博士課程在籍中の自分の経験を話す講義が控えているからだ.準備は全く終わっていない.話の構想を練られていないし,なんなら何を話すかのイメージもまだ固まっていない.さあさあどうしたものか.楽しくなってきた.
さらに,論文も書かなくてはならない.先生曰く,12月中までに英文校正まで行きたいとか.俺もそこまで頑張りたい.だけど,全然進まない.優先順位を下げてはならないのに関わらず,後に回して待っているから終わらないのか.次の実験の計画を立てられない.
このように,いろいろやることがあるので,一つずつ確実に潰していかねばならない場面にあるだけど,それも辛いことに,疲れてしまう.疲れてしまったら,作業は進まない.作業が進まず次の日を迎えて,作業が進んでいない自分に気づいて自己嫌悪に陥り,余計に疲れて作業が進まない.悪循環にも程がある.情けない.
こんな自分はドクターとして,先輩として後輩に見せられない.そんな思いが募ってしまう.だけど,この考え方は自分にとって危険なんじゃないかと思い始めた.なぜなら焦りや苛立ちに繋がるから.最近,後輩が陰で私に気を使ってくれている気がする.去年私がやっていた仕事(役割というか,動きである.前もってこれをやらねばならないというものではなく,やったほうがいいなと思ってやっていたことだ)を,後輩たちがやってくれていることが多い.おそらく,いそがし(ぶってる)私を見て,動いてくれているのだろう.だけど,それにイラついてしまっている自分がある.
イラつきの構成要素は二つ.一つは自己嫌悪だ.なんで後輩にやらせているんだ,こんなことにも気が回らなくなってしまったのか.そういった気持ちだ.だが何より二つ目が厄介なのだ.それは,「今までやってこなかったくせに,今更手伝ってんじゃねえよ.」という気持ちだ.さて,悪質だ.こんなこと,真に思ってはいないのに,余裕がなくなると時々現れる.こんなこと思っても仕方ないのに,意味ないのに.なぜ,後輩のことを悪く思うシグナルが流れるのだろうかね.本当に悪質だと思う.
おそらく,プライドができてしまったのだと思う.先輩として,ドクターとして,チームを牽引すべくやらなくちゃいけないことが多くなって,それが達成できなくなって,気持ちに余裕がなくなり,自他ともに当たるようになる(心の中でね).この流れが良くない.
ので,考え方を改める.先輩として,ドクターという役柄を考えて,自分の行動理念を決めるのではなく,「自分」として決めることにしようと思う.先輩だから,博士課程だから,そんなの枕詞であって,意味はないと思う.できてない現状に対して,どうやって改善していくか,その方法に先輩だの博士だのは関係ない.自分流でいいと思ったのだ.
自分流ってなんだろうと考えた.それは,チームの各人が活躍できるように,自分が立ち回ることだと思う.私の長所は,人の長所を見破り,適した役割を与えること.コミュニーケーション能力だと自負している.今,後輩たちが引っ張っていることは,うまく乗せて,やらせちゃっていいのではないだろうか.やらせることは,恥じゃない.例え,それが成功すれば,自分が任せたおかげと思えばいいじゃないか.
やることが積み重なり,余裕がなくなると,自己嫌悪に陥りやすくなる.それは,自身の理想が高く,その理想と今の自分との差に落胆することが原因だと思っている.自分の理想を変えてしまえば,少しは楽になるだろう.気持ちの面でぐずぐず悩んでも仕方がない.自分は自分である.その自分を保ち,自分流を遂行できれば,それでいいじゃないか.そう思ったポッキーの日でした.
次から次へと
またしばらく更新が止まってしまいましたね。 と思ったのですが、前回の記事は約3週間前のものでしたか。 本日に至るまで、3週間といえど、とても濃密な時間を過ごしました。
まず、就活です。先週無事に就職先を決めることができました。 いやあ、素直に安心です。だって、将来の不安を一つ消せたのですから。 最終面接の日から内定の電話までしばらく時間がかかったこともあり、正直尋常ではない不安を抱えながら、研究をしていました。 その状態から解放されて、とりあえず一安心です。
しかしながら、就活を終えた先には、学会発表が待ち受けています。 といっても、1ヶ月前から準備しており、データが十分な状態であったため、余裕を持っていました。 そう、余裕を持っていたはずでした。しかし、資料は完全にはできておらず、現在先生からのOKもまだもらえていない状態です。 発表は来週末で、、、非常に、、、厳しい状態です。正直死にそうですね。
どんなに早く準備しても、結局はギリギリになってしまう。 なぜ、このようになってしまうのか。自分でも甚だ疑問です。 世の中の人は、どのように解決しているのでしょうか。やはり、妥協することが大事なのでしょうか。 妥協するという選択肢を取ろうとしないのが自分であるから、いつも苦しめられるのでしょうかね。
いやあ、わからないです。自分の納得のいくところまで、やってみるしかないかなと思います。 次から次へと、ミッションは生まれてきますが、ベストを尽くして臨み続けようと、そう思います